情報システム学会 メールマガジン 2013.2.25 No.07-12 [10]

連載 オブジェクト指向と哲学
第26回 流出システムと波動システム(2)

河合 昭男

 「流出説と物活論」は「もの」と「もの」の間に作用する力の現象を説明する古典的な2つの考え方です。これをヒントに、前回は人と人の間に作用する力を「流出システムと波動システム」という2つのシステムとして考えてみました。今回は波動システムをもう少し具体的に考えてみます。

モーツァルトの一幅の絵
 モーツァルトは手紙に次のようなことを書いていたそうです。小林秀雄「モオツァルト」[2]から引用します。
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 ・・・構想は、あたかも奔流のように、実に鮮やかに心のなかに姿を現します。しかし、それが何処から来るのか、どうして現れるのか私には判らないし、私とてもこれに一指も触れることはできません。
 ・・・私は、丁度美しい一幅の絵あるいは麗わしい人でも見るように、心のうちで、一目でそれを見渡します。[2]
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 音楽を一幅の絵として捉えるというのは不思議です。そもそも音楽は耳で聞くものであり、眼で見るものではありません。音楽鑑賞には時間の流れが必要であり、一目で見渡すことなどできません。絵ならば静止しているので時間の流れがなく、一瞬で見ることができます。絵画の鑑賞にはそれなりの時間をかけますが、絵のどの部分を見るのかは自由です。プリンタやイメージスキャナのように左上から横方向に1行づつ最下行まで隈なく眺める人はいません。
 この一幅の絵として捉えられた楽曲は細部まで鮮明で忘れることはなく、人と話しながらでも楽譜に書くことができる、とあります。以下に引用を続けます。
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 ・・・いったん、こうして出来上がってしまうと、もう私は容易に忘れませぬ、という事こそ神様が私に賜った最上の才能でしょう。だから、後で書く段になれば、脳髄という袋の中から、今申し上げたようにして蒐集したものを取り出して来るだけです。・・・周囲で何事が起ろうとも、私は構わず書けますし、また書きながら、鶏の話家鴨の話、あるいはかれこれ人の噂などして興ずる事も出来ます。
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視覚と聴覚
 モーツァルトは音楽を一幅の絵と捉えましたが、ピアニストは音を画像として覚えているという研究報告があります。「ピアニストの脳を科学する」[3]によると
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・・・耳から覚えた情報の一部を蓄えるために、視覚野の神経細胞を活用している
・・・音を画像として覚えることによって、優れた記憶力を実現している[3]
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とあります。
 モーツァルトの「脳髄という袋」は、この視覚野の神経細胞なのでしょうか。ピアニストは耳から覚えた楽曲を視覚野の神経細胞を活用し画像として覚えることにより、楽譜も見ないで演奏するということができるのでしょうか?この画像は眼で見るものではありません。
 ピアニストの辻井伸行さんのテレビ番組を見ていて感じました。眼を使わず耳から聴き取った音のみで自身の中に記憶された楽譜は、きっとモーツァルトの一幅の絵のように一度に全部が細部まで見えているのではないでしょうか。
 ムソルグスキーの展覧会の絵は10枚の絵の印象をピアノ組曲にしたものです。辻井伸行さんはこの10枚の絵を、ムソルグスキーとは逆に耳から頭の中に画像を作成し演奏されます。そのオリジナルの絵画とどのように違うのかなーとちょっと想像してみたら楽しくなってきました。

ダイモンの声
 ソクラテスは間違ったことをしようとするとダイモンの声が聞こえたそうです。次は「ソクラテスの弁明」[4]の一節です。
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 ・・・私には一種の神的で超自然的な徴(ダイモンの声)が現われることがあるということである。・・・これはすでに私の幼年時代に始まったもので、うちに一種の声が聴こえて来るのである。そうしてそれがきこえるときには、それはいつも私の為さんとするところを諫止するが、決して催進することをしない。[4]
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 「パイドロス」[5]にもダイモンの声の記述があります。
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 ぼくがまさに川をわたって向こうへ行こうとしていたときにね、よき友よ、ダイモーンの合図、いつでもよくぼくをおとずれるあの合図が、あらわれたのだ。それはいつでも、何かしようとするときにぼくをひきとめるのだが、・・・そして、そこからある声が聞こえて、ぼくがなんと、神聖なものに対して何か罪を犯しているから、自らその罪を清めるまでは、ここをたちさることはならぬと、こうぼくに命じたように思えた。[5]242B
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 訳者が異なり表現の雰囲気が違いますが、どちらもソクラテスの言葉です。ダイモンの声は耳から聴こえる音声ではなく、超自然的な徴であり「あの合図」です。良くない行動を起こそうとするときにそれを止めようとするのみで、何かの行動を起こすようにという積極的な声はないそうです。

波動システムと流出システム
 モーツァルトの一幅の絵は流出物として眼に到達する訳ではないのに心に達し、楽譜に書くという作曲の行動につながってゆきます。ソクラテスのダイモンの声は流出物として耳に到達する訳ではないのに心に達し、ソクラテスの行動をコントロールします。
 これらは流出システムで説明できない波動システムの働きです。ただそれらの情報の発信元はどちらも人ではなさそうです。モーツァルトの絵はどこから奔流のように送られて来るのでしょう?ダイモンはどこにいるのでしょう?また他の人には受信できないのはどういう仕組みになっているのでしょう?

図 波動システムと流出システムのつながり
図 波動システムと流出システムのつながり

 図のように人は流出システムと波動システムの2つで情報を受信し、その情報が心に作用し、心が行動を引き起こす原動力となります。波動システムの情報は、モーツァルトの場合は流出システムの眼の領域に作用し、ソクラテスの場合は耳の領域に作用します。

 前回から人と人の間に作用する力を考えようとしています。今回は人と人が離れているケースを考えようとしていましたが、計らずも人に作用する未知の力となってしまいました。人というより心に作用する力です。
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「心に関する研究に第一級の地位を与えるのは当然のことだろう」アリストテレス[6]
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【参考書籍】
[1]山本義隆「磁力と重力の発見」みすず書房、2003
[2]小林秀雄「モオツァルト・無常という事」新潮文庫、1961
[3]古屋晋一「ピアニストの脳を科学する - 超絶技巧のメカニズム」春秋社、2012
[4]プラトン、【訳】久保勉「ソクラテスの弁明、クリトン」岩波文庫、1991
[5]プラトン、【訳】藤沢令夫「パイドロス」岩波文庫、1967
[6]アリストテレス、【訳】桑子敏雄「心とは何か」講談社、1999


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