情報システム学会 メールマガジン 2013.1.25 No.07-11 [14]

連載 情報システムの本質に迫る
第68回 北欧社会システムのベンチマーキング

芳賀 正憲

 1980年代、ジャパン・アズ・ナンバーワンと称えられた日本は、その後凋落の一途をたどりますが、日本の躍進のプロセスにも学んだ米国は見事に復活、90年代半ばには国際競争力1位に返り咲きます。このとき米国は、日本が他国に学ぶ場合と異なり、日本の優れた取り組みをいったん概念化した上で自国に活かしたと言われています。
 今日、リーマンショックと欧州経済危機の中でも、高い生産性の伸びと健全な財政を確保している北欧諸国がベンチマーキングの対象になり得ることは、このメルマガでも繰り返し述べてきていますが、昨年11月に出版された、翁百合・西沢和彦・山田久・湯元健治著『北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか』(日本経済新聞出版社)は、そのような優れた成果をもたらしている北欧諸国の、ダイナミックで柔軟な政策イノベーションの本質を求めた上で、歴史も文化も人口も異なるわが国が学ぶべきところは何かを明らかにしようとしていて、今後わが国が新たな国のかたちを考えていく上で、必読に値する文献と思われます。

 90年代の日本は、経済成長率が低迷し、社会保障の機能も低下、財政赤字が累増していきました。これに対してわが国は、米英をモデルにした市場メカニズム重視の改革をめざし、特に2000年代にはいって小泉構造改革はその典型ですが、2000年代半ばには、ワーキングプアや医療崩壊など、深刻な社会問題を招来するに至りました。これを克服するために誕生したのが民主党政権ですが、個別の政策に合理的なものが見られたもののトータルの経済社会ビジョンは示されず、結局内部分裂して政権は崩壊、旧来の自公連立政権が復活しました。
 一方、北欧モデルの優位性は、リーマンショック後にこそ顕著に示されました。2010〜2012年平均の実質経済成長率は、米英などアングロサクソン型経済が1.6%だったのに対して、北欧型は2.1%、特にスウェーデンは4.3%で、財政状態も健全に保たれました。IMD国際競争力は2010年、日本27位に対して、スウェーデン6位〜フィンランド19位等であり、2009年IT競争力は、日本21位に対して、スウェーデン1位〜ノルウェー10位等でした。
 北欧では、長期一貫して少子高齢化問題や環境問題など、時代を先取りして人類共通の課題に取り組み、独自の経済社会モデルを築いてきており、その成果が今日の世界経済難局の中で上記の数値として表われたと見ることができます。
 北欧でこのように優れた政策イノベーションを実現できた発想法・行動様式の特徴として、本書では次の3点および別枠で「教育の重視」を挙げています。

(1)異なる制度間の「有機的リンケージ」を図る姿勢
経済成長と社会保障の両立を図り、効率と公平を同時追求するなど「二兎を追う」取り組みです。
(2)「合理性・透明性」を重んじて制度・政策を構築していくスタンス
現実的に合理性を追求し、勤労所得と資本所得に異なる税制を適用するなど、ダブルスタンダードも辞しません。また政策策定にあたって、目標となるビジョンを描いた上で、いつまでに何をやらなければならないかを決め、実行していくバックキャスティングという手法を採っています。
(3)「試行錯誤」によって進歩するというスタンス
政策は目標どおり実現できるとは限らず、むしろ多くの失敗があります。それでも、とにかくやってみて、改善を繰り返し目標に近づけていきます。このため、北欧諸国は「実験国家」とも呼ばれています。

 このような政策イノベーションを各分野で自律的に推進できる、自立した強い個人をつくるため、「教育の重視」も、北欧社会の顕著な特徴です。公的教育費のGDP比(2007年)は、日本の3.4%に対して、デンマーク7.8%、スウェーデン・ノルウェー6.7%、フィンランド5.9%に及び、大学院まで授業料が無償になるなど、幼児教育から高等教育まで手厚い支援がなされています。

 上記北欧モデルの特徴をソリューションの観点から見ると、まず(1)の異なる制度間の「有機的リンケージ」を図る姿勢から、北欧では諸制度をシステムとして構築していこうとしている、すなわち社会全体としてシステム・エンジニアリングを行なっていることが分かります。
 システム・エンジニアリングを的確に進めていくには、マネジメントが必須です。マネジメントの体系は、近年多岐にわたって構築されてきていますが、その要諦が次の3項目に帰着することは、すでに明らかになっています。第1には、目的達成のためのプロダクト・プロセスを適切に設定し、共通認識をした上でその実現を図っていくことです。第2には、目的を達成するため、デミングの管理サイクル(PDCA)を迅速・確実に回していくことです。第3には、マネジメント・プロセスとプロダクト・プロセスの推進が目標以上のレベルでできるよう、参加メンバーの能力開発を行なうことです。

 上記北欧モデルの特徴の(2)「合理性・透明性」を重んじて制度・政策を構築していくスタンスは、目的達成のためプロダクト・プロセスを適切に設定し、共通認識をした上でその実現を図っていくこと、その中でもシステムを構造的に分析し、的確にサブシステム(モジュール)分けと要件定義を行なうことが肝要であるという、マネジメントの要諦に対応していると考えられます。
 また、特徴の(3)「試行錯誤」によって進歩するというスタンスは、当然のことですが、マネジメントの第2の要諦、デミングの管理サイクル(PDCA)を迅速・確実に回していくことに対応しています。
 さらに、別枠で示された北欧社会の特徴「教育の重視」は、もちろんマネジメントの第3の要諦、参加メンバーの能力開発に対応しています。

 このように見てくると、北欧社会では、時代を先取りした人類共通の課題に対する取り組みが、システム思考のもとに、すなわち(明示的にそのような名称で呼んでいるかどうかは別にして、実質的に)システム・エンジニアリングの手法を駆使して、的確にマネジメントされながら推進されていることが分かります。
 これは、わが国にとってベンチマーキングするのが容易ではない取り組みです。わが国では、本来その衝に当たるべき政治家や官僚、多くの政治学者や経済学者、チェック機能を果たすべきジャーナリストや評論家が、必ずしも十分なシステム思考力や、その前提となる論理思考力をもっていません。原発建設の例を見ても明らかなように、合理的なシステムをつくるより、むしろそれと対照的なムラ社会をつくることを得意としています。
 さらにベンチマーキングをむずかしくする要因として人口差の問題があります。同じ政策を採るとしても、わが国の場合、スウェーデンの10倍以上の規模で実現する必要があります。規模の増大は、指数関数的に複雑さの増大をもたらし、システムの構築を困難にします。
 この問題を解決するためには、大規模システム開発を行なっていくためのマネジメントが必須です。このマネジメントの要諦は、すでにメルマガの2008年4月号で述べたとおり、電気学会の巨大システム調査専門委員会(高橋勝委員長)の分析から明らかにされていて、第1に、的確にサブシステム(モジュール)分けを行なうこと、具体的には地方分権を実現すること、第2に、デミングの管理サイクル(PDCA)を回していく中でコミュニケーション管理を徹底すること、第3に、プロジェクトに関わる人たちの能力をレベルアップすること、すなわち教育の重視です。
 北欧社会のベンチマーキングに上記のような課題があることは、これから日本が新しい国のかたちを構築していく上で、本書の著者たちのように洞察力のあるエコノミストとともに、情報システムの専門家の関与が必須であることを意味しています。過去約50年、企業や工場、機器などにおいて画期的なソリューションが成されてきていますが、情報システムの専門家のコミットメントがなくて、そのようなソリューションの実現はあり得ませんでした。それと同じことが、新しい国のかたちの構築についても言えるのです。

 本書ではさらに具体的に、労働市場、金融政策、税・財政システム、社会保障制度、特に年金制度について、北欧モデルが分析され、それがわが国にとってもつ意義の検討が行われています。

 スウェーデン経済は90年代にはいりバブルが崩壊、マイナス成長に陥り、失業率も増大、財政赤字も発生して苦しみましたが、90年代後半以降2000年代にかけて活力を取り戻しました。リーマンショックの翌年こそ経済成長率はマイナス5.1%に落ち込みましたが、2010年には5%を超え、2011年3.9%とV字回復しています。
 それに比して日本は、バブル崩壊後財政支出で成長率を回復しようとしましたが、90年代後半の金融危機で経済は一気に落ち込み、その後デフレも進行、2000年代に至っても成長率の回復は緩やかで、失業率の低下も限定的、財政赤字は極端なレベルまで累積していきました。
 両国のこのようなちがいはなぜ生まれたのか、本書では要因を、1つは不良債権処理のちがいに、あと1つは労働市場の成り立ちのちがいに求めています。スウェーデンでは、公的資金の投入が90年代早々に行なわれたのに対して、わが国では90年代末以降になりました。またスウェーデンでは、わが国に比べてはるかに速く、成熟産業から成長産業に労働力の移動が行われました。

 スウェーデンの労働市場の特徴を、本書では次の3点に集約しています。

(1)就労を促す社会的規範・社会保障制度
スウェーデンでは、就労することに高い価値をおく「アルベツリーニエン(就労原則)」という考え方が定着しています。年金給付も、就労時の所得総額に比例する方式が基本で、また、社会保障制度の受益者も、職業訓練や人材投資により労働市場にもどすという方策が採られています。
(2)高い労働組合の組織率を背景とした労使協約重視の労使関係
組織率は2008年、日本18%に対してスウェーデン68%と圧倒的な高さです。伝統的に協調的な労使関係が形成されており、労使協約の方が労働法より重視されることになっています。賃金は中央交渉から次第に産業レベルに分権化されていましたが、産業全体の発展と労働市場の改善を目的に、1997年以降、実質的にマクロレベルの調整機能が復活、社会全体の賃金格差も縮小してきています。
(3)労働移動を促進する社会合意・仕組みの存在
スウェーデンでは、企業・産業間の賃金格差を小さくし、低生産性部門の利益を圧縮、高生産性部門の利益を拡大することで産業構造の高度化を図るレーン=メイドナー・モデルの提唱を契機に、労働組合が発想を転換、整理解雇を含む労働移動を受け入れてきています。その方が労働者にとっても利益になるという考え方です。職業訓練や職業紹介、雇用助成など積極的労働市場政策を通じ、雇用庁の労働移動を支援する役割が高められ、また企業の拠出金によって再就職支援組織ができています。法的にも、余剰は正当な解雇理由に当るとされています。

 このようなスウェーデン労働市場の特徴から、本書では90年代以降の経済低迷に対する同国の対応を、次のようなメカニズムで説明しています。
 同国では、余剰を理由とする整理解雇に制約がなく、一方労働組合が賃金格差拡大に反対し賃下げを容認しないこと、また失業保険制度が寛大だったことから、景気後退に際して大規模な雇用調整が実施され、失業率が急上昇しました。しかし90年代後半、中央銀行がインフレ・ターゲティングを導入、物価の安定と賃金決定の個別化が進み、さらにマクロレベルで賃金調整機能が回復したことから労組による賃上げ圧力が緩和、モラルハザードを防ぐため失業保険制度の見直しが行われたことも相まって、失業率は低下に向かいました。
 インフレ・ターゲティングの導入により、インフレ率が加速すれば金融が引き締められ、労働市場も悪化します。このため労働組合は、マクロ経済から見た合理性を追求するようになり、賃上げ率も合理的に決まり、インフレ率の安定にもつながりました。

 労使交渉の形態とマクロ経済のパフォーマンス(例えば実質賃金の伸び率)に関するハンプ・シェイプ(こぶ型)理論があります。労使交渉が国レベルで高度に中央集権化しているケースと、個々の企業で高度に分権化しているケースの両極端でパフォーマンスがよく、その中間では悪くなることが実証されています。「完全集権化も完全分権化も、理論的にはともに完全に機能する」という経済学の知見を想起させる注目すべき理論です。

 スウェーデンの経験から、本書では、マクロレベルでの賃金決定方式の存在とインフレ・ターゲティング政策のミックスが、物価・賃金安定化の必要条件であり、流動的な労働市場が産業構造転換を支えて生産性向上を実現することが、物価を安定させた上で賃金上昇の十分条件になり得ることを明らかにしています。

 わが国の場合スウェーデンと対照的に、景気後退時雇用調整助成金の拡充や公共投資、賃金調整などにより、雇用維持を図ることに重点が置かれました。そのため労働移動が停滞し、産業構造の転換が進まず、経済の成長力と生産性が低迷、賃金の持続的下落とそれにともなうデフレを引き起こし、デフレが不景気を長引かせるという悪循環構造が生じました。その間、非正規労働者の増加が、雇用の質の劣化と平均賃金の下落を加速させました。また、非正規労働者の増加や雇用優先の組合の行動様式がマクロレベルの賃金決定の仕組みを崩壊させ、正社員の雇用流動性が低いため景気回復時も賃金が大きく引き上げられることもなく、このこともデフレからの脱却をむずかしくしました。

 スウェーデンの労働市場の分析から日本が学ぶべきこととして、本書では次の3項目を挙げています。

(1)労働移動を進める労使間の協調
90年代わが国で実施されたのは、派遣規制の緩和に偏っており、労働市場の二重構造化を深刻化させました。北欧諸国の経験から、雇用流動化の推進には協調的な労使関係が重要であり、そのもとで労働組合がマクロ的先進的な考え方に転換すると同時に、企業の社会的責任として労働移動を進める仕組みの整備がなされる必要があるとされています。
(2)マクロ的な賃金調整機能の回復
わが国が長期のデフレから脱却するためにも、生産性上昇率に見合う賃金上昇率の目安を産業毎・企業規模毎に示すマクロの賃金調整機能の復活が必要です。
(3)検証にもとづく積極的労働市場政策の展開
スウェーデンでも90年代、積極的労働市場政策は就労促進に役立たないと見なされた時期があったのですが、それでも企業を過剰雇用の負担から解放し、産業構造転換を容易にして2000年代以降の経済復活に貢献した点は見逃せないとされています。何よりも同国が、政策プログラムの改善を不断に続けていることが重要で、わが国も政策評価の枠組みを確立した上で、積極的労働市場政策の拡充・改善に取り組むことが求められます。

 以上の3項目に加えて、本書では、北欧の改革に対するスタンス自体にわが国が学ぶべき点として、創造的な政策の実施→成果の科学的検証→次の有効な政策の立案という、デミングの管理サイクル(PDCA)が、問題に即応して迅速に回し続けられていることが強調されています。情報システムの本質モデルに関わる課題であり、北欧諸国が社会システムのベンチマークとして適格であることが如実に示されています。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
 皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。