情報システム学会 メールマガジン 2008.8.25 No.03-5 [1]

理事が語る

岩崎慎一

 この2008年4月から理事になりました、(株)朝日ネットの岩崎です。暑い日が続いています。大酒飲みの私が申し上げることに違和感を抱く方がいらっしゃるかもしれませんが、皆様ますますご健康にご留意くださいませ。
 当学会の発起人に名を連ねているとはいえ、私の学会での活動は、昨2007年夏から始まった年金記録問題検討委員会が最初です。微力ながら、当学会の発展にかかわっていきたいと思います。皆様、よろしくお願いいたします。

 年金記録では、「名寄せ」ができずに持ち主が特定できない宙に浮いた5000万件という記録があるという問題が明らかになりました。情報システムにおける、さまざまな不具合が、その一つだけでも致命的な状況が予想されるのに、それらが複合的に折り重なって起きた悲劇です。そして名寄せができない理由として、本人を特定するためのデータの誤記入(誤入力)や記入漏れ(入力漏れ)が挙げられています。本人が特定できれば、名寄せできるわけですから、あたりまえといえばあたりまえです。

 さて、年金の受給額は、大雑把に言って、保険料の払込み回数(時間軸、X軸)と、それぞれの時点の所得から計算される月々の保険料(Y軸)の関数になります。まあ、積分みたいなもんですけど。さて、宙に浮いた記録は、その本来の持ち主にとってはあたかもその期間が未納付になっているように見えます。実際、今年2008年10月には完了する、全加入者へ送付予定の「ねんきん特別便」では、主に、未納付の期間についての誤りがあるかどうかを自分の記憶と照合するように求めているように見えます。
 仮に、それで、宙に浮いていた全部のデータが正しく名寄せできて、本人に嵌め込まれたとしましょう。これで、時間軸は解決しました。しかし、収めてきた月々の保険料(Y軸)は、全く検証されていません。本人の特定にかかわるデータで5000万件もの誤りが放置されていたのに、まさか、月々の保険料についてのデータは完璧であるということでしょうか。最近になって、マスコミも、やっと、Y軸にも問題があるやも知れないという雰囲気になってきました。
「ねんきん特別便」という全加入者への文書での照会という絶好のチャンスなのに、時間軸だけを照会し、Y軸を照会しないのは、何かの恣意があるのでしょうか。それとも、まったくもって、彼らに情報リテラシーがないのでしょうか。今後の展開が気になります。いや、皆さん、もっと、気にしましょう。余談ですが、政府がひらがなを使うと、いつも何かあやしい雰囲気になりますね。

 話かわって... ご多分に漏れず、弊社でも、各人のスケジュールをグループウェアで共有しています。例えば、会議を開きたくなったら、会議室と関係者の時間をまとめて「予約」する仕組みです。で、予約には必ず「件名」があるのですが、どういうわけか、ときどき「打ち合わせ」という件名が紛れ込みます。いや、日常的に「お花見」とか「運動会」とかでにぎわっていて、たまには会議をしようか、っていう乗りならば「打ち合わせ」でいいのですけど。弊社のグループウェアのスケジュールの一覧表にはこの件名しか出ないので、何の打ち合わせかはその先の詳細ページまで行かないと分からないのですよ。
 ここで、思いを巡らせるのです。なぜ、彼(あるいは彼女)は一覧表には自分の名前も出ないのに「打ち合わせ」で通じると思ったのだろうかと。彼は、その案件しかかかえていなくて、打ち合わせといえばその案件しかないからかとか、適切な件名が思いつかずに苦肉の策だったのかとか、実は何も考えていなかったとか。しかし、情報を発信する側は、やっぱり、どうやってその情報を的確に伝えるかについて、それなりの構えをしてほしいと思うのです。
 そして、この「件名」を的確に付けるには、その用件を理解して端的に言葉にまとめあげる能力が要求されます。国語の「著者の言いたいことを30字以内にまとめよ」というやつですね。要約というか、表題ですね。要約をせずに抽象したら、用件がぼけてしまいます。つい最近、同じく弊社の案件管理のグループウェアに「システムの改善」という案件がありました。これも同じ過ちをしています。レポートの表紙に「レポート」って書いたらおかしいですね。こういった能力は、著述業にだけ求められるものではありません。そういえば、一番身近なのがメールの件名です。でも、メールは送信者の素性が同時に表示されたりするので、件名がだめだめでもどうにかなることが多いのでしょうか。「誰が書いたか」っていうのも、結構な情報ですから。

 さて、「この件名じゃ用件が伝わらないかもしれない」と気が付き、的確な文言に変えるのは、私は、国語力だと思っています。用件が何であり、目的、前提、条件、手法というように分析ができるのも、まさに国語力ではないでしょうか。国語力が備われば、より抽象化、概念化した記号や符号を使った表記法も言葉として理解できていくと思います。
 弊社の事務システムでは、明らかなデータエラーがあると、画面やチェックリストに「★」付きでエラーメッセージが出るように作ってあります。商品コードが登録されていないとか、2月31日とか。これは「★が出たらエラー」と分かりやすく説明できます。しかし、これを「エラーなら★が出る」「★が出ないからエラーではない」と解釈する人がいます。明らかに誤った解釈なのですが、私は、命題とかベン図とかを持ち出す前に、国語力で直感的にムズムズした感じを受けてほしいと思っています。

 そういった意味で、何よりも、国語は大切ではないでしょうか。思考するためにも、情報を発信するためにも、加えて、自身の世界観を確立するためにも。お前が言うか?という声が聞こえてきそうですので、このへんで。