情報システム学会 メールマガジン 2008.5.25 No.03-02 [6]

大学教育最前線:慶應義塾大学 理工学部 管理工学科
「夢と苦労話!ロジックとマジック?」

慶應義塾大学教授 山口 高平

【まえがき】

 本学会には,会長をはじめ慶應義塾大学理工学部管理工学科出身の方が多く所属されています。その方々を前にして,情報システム学ではなく,情報処理学の道しか歩んでこず,しかも外部から着任した者が,管理工学科における情報システム学教育の現状を報告するのはいかにもミスマッチであると感じ,この原稿は正直,気乗りがしませんでした。
 しかしながら,管理工学科の学生と4年間付き合って彼らの本音も見え始め,また2008年2月号のメルマガで,高校生が情報系から離れていく危機感を述べさせて頂いた経緯もあります。そういう訳で,管理工学科における情報システム学教育最前線という話題については今後の宿題にさせて頂き,2月号メルマガと同様,奇をてらったタイトルで恐縮ですが,「管理工学科に入学してきた学生と情報教育」に関する一教員の感想文ということで,お許し頂きたくよろしくお願いします。

【学生からみたA科】

 まず,管理工学科OB以外の会員の方も大勢おられますので,管理工学科の教育研究を簡単に紹介させて頂きます(管理工学はAdministration Engineeringの訳ですので,以下A科と略記します。これは学部全体でも通用する略記です)。
 A科は,理工学部としては,学際色・文理融合色が濃い学科で,

「経済・経営」
「OR・統計」
「システム・人間・インダストリアル工学」
「情報工学(情報システム学とまだ書けない点が反省点であります)」

という4つの教育研究分野をカバーしています。特定の研究分野を深掘りする学科が多いなかで,A科は,分野横断型で一般問題解決法を学ぶ異色の学科といえます。
 理工学部では大括り(5学門(学問のゲートいうことで学門):物理,数学,化学,機械,情報)で学生が入学してきますので,入学後間もない1年生にとっては,その学際性からA科を理解することが難しいようです。でも2年生の学科配属時前にA科の事を丹念に調べ「ヒト,カネ,モノ,情報を組み合わせて,トータルに問題を解決する方法を勉強するのか?A科って意外に面白いかも!?」ということになり,その結果,A科は結構人気のある学科になっています。
 しかしながら,学部卒業時に「A科で勉強してどうだった?」と尋ねると,「極めたものがない。何かフワフワしたままで終わった。」という感想が聞こえてきます。4分野と幅広く勉強するわけですから,各分野の探求レベルは自ずと浅くなり,また,エクスペリエンスも不十分なので,そのような感想になるのでしょうか?あるOBの方からは「社会人になって経験を積んだ後に,A科に戻って勉強すればすごく身につくと思う」というコメントを頂いたことがあり,なるほどと思ったことがあります。

【アルゴリズム論を講義してみて】

 前置きが長くなりましたが,情報教育に関する話を始めます。私は,平成16年度にA科に赴任する前は,大阪大学と静岡大学で20年間,情報工(科)学科に属して学生の教育にあたってきました。従いまして,学生がアルゴリズムやプログラミングに興味を示して,熱心に講義を聞いてくれるのは当たり前と思っていました。
 ところがA科2年生にアルゴリズム論(選択必修科目なのでほぼ全員120-130名の学生が受講します)の講義をした時は勝手が違っていました。教室が(やや)ざわつくのです。例えば,クィックソートアルゴリズムや計算量の話をしても「興味ないなぁ」という空気みたいなものが伝わってきます。パソコンで実習付きにすればもう少し雰囲気が変わると思いますが,情報工学系の学生と何か本質的に違った空気があるのです。それは,A科が学際的なので,アルゴリズム自身に興味をもつというよりは,それが現実世界でどのように利用されて,どのように役立つのかという点により関心が高いのです。この点に気付いてからは,例えば,ダイクストラのグラフ最短経路方法を路線選択の例題で説明したりするなど,ユーザの視点をできるだけ多く盛り込みながら授業を展開するようにしていますが,まだまだ不十分な感は否めません。下記は,昨年秋学期に実施したアルゴリズム論の授業アンケートの学生からのコメントの抜粋です。お見せするのも恥ずかしいのですが,最近の学生の雰囲気の一端を感じ取って頂ければと思い,手を加えることなく掲載することにしました。
良かった点

改善すべき点

【e-ビジネスSW論を講義してみて】

 2年生にアルゴリズム論というIT基礎科目を講義した後,3年生にはe-ビジネスSW論というIT応用科目を講義し,WWW,B2C/B2Bコマース,ビジネス方法特許,サーチエンジン,検索連動型広告,SEOといった比較的ホットな話題を取り上げ,テクノロジー(HTML, JAVAスクリプト,HTTPなど)の話も盛り込むとともに, e-ビジネスを実践されている方をゲストスピーカとしてお招きし,ご講演頂いております。
 今まで,大規模情報システムの開発者,Web2.0ベンチャー企業の方,ゲームコンテンツ関係者などの方に講演をお願いしてきましたが,残念ながら,情報システム開発の講演のウケがよくありません。プロジェクトX的な苦労話が多く,私などはとても興味深く聴けるのですが,学生にとってはそれだけでは不十分のようで,もっとハッピーな話を期待しているようです。また,ゲームコンテンツの講演が一番受けるのかなと予想していましたが,ゲームクリエータは僕達の専門ではないという意識はしっかり持っているようで,それほど好評ではありませんした。一番好評だったのが,Web2.0ベンチャーの講演でした。講演者が30代手前で学生と年齢が近くて親近感もあったことも一因かと思いますが,こんな仕掛けを作ればネットユーザがこれだけ喜んでくれるという熱い語りかけは,夢と苦労がセットになった魅力的な話しであり,学生の心に響いたようです。
 2月号メルマガにおいて「工学系他分野の先生方からは,機械には知能ロボット,物理にはナノテク,化学には環境,生物にはバイオというように,時代を先取りするキーワードが受験生を引き付けているという話を聞くが,我々の情報系を考えた場合,知らぬ間に,若者に夢を与えるキーワードを失いつつあるのではなかろうか?」と書きましたが,上記のゲストスピーカによるITに限定した講演においても同様の傾向があるように思われます。講義において「夢を熱く語る」ことの大事さが再認識された気がします。
 あと,3年生の授業アンケートでは,e-ビジネスSW論は(50-60の専門科目群の中から)常にトップ5にランクインする人気授業になっていますが,これは必ずしも喜べません。というのは,前述したアルゴリズム論は下位にしかランクされず,基礎的な話は敬遠され,華やかな世界の話に単に飛びついているという傾向が見え隠れするからです。でも,学生に興味をもってもらうには,結局は,夢/華やか世界/苦労体験/スキル/基礎理論などの特徴をもつ講義群から,適切な講義ポートフォリオを組んで対応していくしかないように思えます。

【おわりに】

 本原稿を執筆している時,情報システム学会総会が開催され,佐伯胖先生による「学びにおけるヒューマン・インタラクションの意味」というご講演を大変興味深く聴かせて頂きました。ご講演のなかで「ダイエット算数」など面白い話題が目白押しでしたが,「ホットなやる気」vs.「クールなやる気」は興味深い対比でした。
 先日,知人と飲みながら,情報教育について「今時の学生はロジックだけでは付いてこなくなった。マジック(ITでこんな凄いことが実現できる話)も必要だよね」というような会話を交わしていたのですが,佐伯先生のご講演はこの話と相通じる所があるなぁと一人で感じいっていました。ロジックだけでも,マジックだけでもだめなのでしょう。当分は,ロジックとマジックをどのようなバランスで講義ポートフォリオを組めば教育効果があがるのか,模索する日々が続きそうです。