情報システム学会 メールマガジン 2013.11.25 No.08-08 [9]

連載 情報システムの本質に迫る
第78回 新情報システム学序説の完成に向けて

芳賀 正憲

 新しい情報システム学体系序説の完成が近づいてきました。11月27日にはすべての原稿を集約して校正を開始、12月中旬に印刷会社に提出の予定です。
 今回わが国で初めて、概念、歴史、理論、実践の方法論という学問の要件にしたがって情報システム学の体系化を進めることができたのは、次の3つの要因によるところが大きかったと考えられます。第1には、杉野委員長と後任の伊藤委員長のもと、体系化の討議と執筆の過程で24名、レビューの過程でさらに8名、合計32名の熱心なメンバーの結集が得られたことです。第2には、体系化プロジェクトの企画段階から一貫して、渋谷委員により、的確かつ強力にプロジェクト管理が推進されたことです。第3には、情報システム学を標榜する今までの図書や、米国由来の知識体系に欠落していた、人間中心の情報、情報行動、情報システムの基本概念とその歴史に関して、明確に説明ができるようになったことです。

 今回、新情報システム学体系化のプロジェクトに、32名ものメンバーの結集が得られたのは、ほんとうに貴重なことです。というのは、32名の誰一人、個人的なミッションとして体系化のような情報システム学全体に関わるイシューを課せられている人はいないからです。一人ひとりは、はるかに狭い範囲で、担当する具体的な問題の解決を迫られています。しかも、その問題はむずかしく、時間をいくらでもかけたいというのが一般的です。しかし、もし情報システム関係者の全員が、それぞれ自分の担当の課題だけに没頭するなら、体系化のような高次のミッションの推進はあり得ません。いわゆる合成の誤謬の出現です。

 情報システム学界では従来、体系化に関して、ずっと安易な方策をとってきました。米国の知識体系の輸入です。米国は感心なところがあり、情報システムの知識体系をつくって、数年おきにバージョンアップしています。わが国では折を見て、その内容をコピペして、日本版として適用するのです。
 一見効率的に思えますが、根本的に大きな問題が2つあります。第1に、日本と米国ではリベラルアーツ教育の前提がまるで異なります。米国の知識体系のコピペによる導入は、わが国の実情に適合しないのです。第2には、コピペによる知識体系の導入は、情報や情報システムに関して、基本的な概念からは決して考えることのできない学者や教育者、学生、社会人を多くつくってしまうことです。

 情報システムの知識体系に関するこのような状況は、わが国における原発技術導入の経緯に酷似しています。
 わが国で原発をどのように進めていくべきか、初代の原子力委員会で論争がありました。すでによく知られているように、委員の湯川秀樹博士は、「原子力発電の実現は急いではならず、基礎研究から始めるべきだ」と主張しますが、「外国から開発済みの原子炉を輸入し、5年以内に実用的な原子力発電を始める」と強弁する委員長の正力松太郎氏に退けられ、湯川博士は1年耐えたのち、抗議の辞任をします。結果として、米国や英国から輸入した原子炉は多くの欠陥をもち、わが国の実情に合わないところもあって、さまざまなトラブルを発生させ、最終的に福島で過酷事故を起こします。
 輸入に頼っている限り、技術を本質的なところから理解している技術者も育ちません。すでに20年も前に、わが国の原子力政策を担った関係者による次のような証言があります。
 「電力の技術屋さんは、一般的には技術のユーザだということですね。電話をかける技術屋さんが非常に多いんじゃないか。自ら技術の改良とか基本的対応というのを積極的に取り組むようなトレーニングを受けていない」
 「基本のところは自分でデザインしたり開発したりをしたわけじゃないですから、運転とかメンテナンスやきめ細かいところの改良は得意だが、根っこまではいっていくと技術基盤が十分強いのかなと(疑問がある)」

 このような背景や事例があるからこそ、今回32名ものメンバーが、基本的な概念から新しく情報システム学の体系化を進めるプロジェクトに結集した意義が大きいのです。今後の情報システム学発展の中核になって頂くことを期待しています。

 学問の体系化の活動に、プロジェクト管理の適用がいかに有効であるか、渋谷委員の的確かつ強力な推進により実証されたことも、今回の大きな成果です。
 90年代の後半、米国からもたらされたPMBOKは、プロジェクトに対する考え方を一新しました。それまで、「プロジェクト」というと、特別の目的を達成するため、特別チームを編成して対処する、タスクフォース的な仕事を指すのが一般的でした。日常的な組織で遂行される業務を、プロジェクトとは言わなかったものです。
 ところがPMBOKでは、プロジェクトが「独自の成果物またはサービスを創出するための有期活動」と定義されていました。この定義では、組織が日常的か特別編成かは問うていません。1人で行うのか多人数かも言っていません。1日でも10年でも、期限があれば有期です。したがって、例えば上司が担当者に「明日の昼までにこれこれの書類を作るように」指示すれば、それはプロジェクトになります。完全なコピーでない限り、新たに作る書類には、必ず何らかの独自性があるからです。
 このため社長であれ新入社員であれ、企業人が担う業務は、ほとんどがプロジェクトと見なされるようになりました。企業内で行われる仕事には、通常、期限があります。また、繰り返しのように見える仕事であっても、必ず何か新しい要素が含まれているからです。
 プロジェクトの定義の変化は、プロジェクト管理に対する考え方も変革しました。プロジェクトがタスクフォース的に考えられていたときは、プロジェクト管理は管理者が学ぶべきものとされていました。しかし、新入社員の仕事でさえプロジェクトと見なされる今日では、プロジェクト管理能力は、すべての人にとって必須のスキルとなりました。
 プロジェクトに対しては、プロジェクト管理の考え方を適用することが必要です。もちろん体系化のプロジェクトは、タスクフォース的な活動ですが、新しい定義も考慮すると、研究・教育機関の仕事、それに学会活動も、プロジェクトの塊と言えます。情報システム学会においても、委員会、研究会、事務局等の活動にプロジェクト管理の考え方を適用し、成果を高めていって頂きたいと思います。

 情報システム学を標榜する今までの図書や、米国由来の知識体系に欠落していた、人間中心の情報、情報行動、情報システムの基本概念とその歴史に関して、明確に説明ができるようになったことは、画期的と言ってもよい今回のプロジェクトの成果です。
 先月号のメルマガでも述べましたが、今までの情報教育や情報システム教育で行われていた情報概念の説明は、きわめて不十分なものでした。情報の基礎がビットにあるとされたり、シャノンによる情報の定義として、「変化するパターンの中から選択できるもの」という説明が、大学や短大の「情報基礎」などの教育で行われていました。ある条件下で機械情報にのみ言えることが、あたかも情報一般に成り立つかのように説明されていたのです。
 2008年に改訂版の出た『情報システム学へのいざない』(培風館)では、データと情報と知識のちがいが強調されています。その上で、最近広く認められている定義として、知識が構造をもっており、この知識の構造を変えるものが情報であるという説明がなされています。しかしデータも知識も広義の情報なのですから、広義の情報との相対的な関係による狭義の情報の定義は、犬が自分のしっぽを咥えてぐるぐる回っているようなもので、情報の本質が何なのか、少しもはっきりしません。
 注目すべきは、この間、情報システム学の対象(参照)領域ともいうべき哲学、経営学、社会学の各分野で、それぞれの第一人者により、情報の明確な定義が行われていたことです。
 哲学者の今道友信氏は、(プラトンの)精神の目で見た形、すなわちイデアという形に観念化(概念化)したものが情報であると説明されました。経営学者の藤本隆宏氏、社会学者の吉田民人氏は、ともに情報とはアリストテレスの形相である、という点で一致した説明をされています。
 基礎情報学を提唱された西垣通氏は、生物の働きから生命情報という概念に到達されました。生命情報を記述して、言語などに記号化したものが社会情報であり、その記号表現部分が機械情報です。西垣氏の分類は、今道氏の言われる、プラトンのイデアという形への観念化(概念化)のプロセスを明確にし、さらに意味と記号表現という、情報の構造を端的に示した画期的な情報のカテゴリ分けということができます。西垣氏からは、新情報システム学序説の有識者レビューの過程で、藤本氏・吉田氏の所説も、基礎情報学における社会情報として説明できるという、目から鱗の、貴重なご指摘を頂きました。
 人間中心の情報システム学の立場に立つならば、今道、藤本、吉田各氏のように、対象領域を究めることにより形成された情報概念が、実務的に、より本質に近いものです。しかしその3氏の情報概念が、基礎情報学により統一的に説明できるのですから、基礎情報学における情報概念こそ情報システム学においても、最も基本となる情報概念として位置づけられることが明確になりました。

 人間の情報行動は、情報システム学の体系化を進めていくうえで、ベースになる重要概念であるにもかかわらず、その基本モデルがどのようなものであるか、今まで解明が進んでいませんでした。2008年に発行された『情報システム学へのいざない』(培風館)では、「情報システムの企画、開発、運営における諸活動の根底には、この情報行動の考え方がベースになっていると考えられる」と述べているにもかかわらず、「情報行動に関する研究、とりわけ情報システム学の立場での情報行動に関する研究は必ずしも十分に行われているとはいえず、今後、人間の情報行動に関する研究をさらに進めていくことが求められる」としています。
 体系化のプロジェクトでは、人見勝人氏の生産システムに関する考察、市川惇信氏の技術や科学の歴史に関する考察から、人間の情報行動の基本モデルが、仮説実証法と等価なPDCAサイクルにあることを見出し、モデルとして確定しました。仮説実証法(PDCAサイクル)の各プロセスが、発想、演えき、帰納の3つの推論プロセスによって支えられていることも、このモデルの妥当性を示しています。
 ここで大事なことは、人間の情報行動というときの情報が、基礎情報学における情報でなければならないことです。すなわち、生命情報、社会情報、機械情報のすべてが含まれていなければなりません。
 このとき生命情報の位置づけが、きわめて重要です。経営学者の野中郁次郎氏は、企業の知識創造過程を、生命情報である暗黙知が共同化され、社会情報である形式知に表出され連結されたのち、再び暗黙知に内面化されるプロセスとして、すなわち生命情報である暗黙知を基盤とするプロセスとして、モデル化しています。仮説実証法(PDCAサイクル)を支える3つの推論プロセスでは、発想における直観、洞察、ひらめきのような生命情報の働きが、大きな役割を果たしています。
 今まで情報システム構築のエンジニアリングは、社会情報中心に行われてきましたが、生命情報も取り入れなければ、高度の企業経営をサポートしていくことが、むずかしいことが分かります。情報システム学会が今後、特に重点をおいて推進すべき研究課題です。

 今回の体系化では、情報システムの基本モデルとして、構造化分析技法においてマクメナミンとパルマ―が提案した本質モデルを採用しました。環境への対応を基本的な役割として定義されていること、ナドラーの提唱したワークデザインの理想システムと等価なものであることから、文字通り情報システムの本質を表現していると考えられるからです。
 情報システムの歴史は、生物システムの機能をもつ人間の情報行動が、まず本質モデルとして組織化されたうえで、複雑な環境に適応するため、分化し多様化するとともに、システムとして統合されていった過程と見なすことができます。その過程は、システムに環境と同程度の複雑度を要求するアシュビーの法則にしたがうとともに、旧ソ連で開発された創造的問題解決技法TRIZで示された技術システム進化の法則が、そのプロセスをよく表現しています。
 一方、システムとしての分化・統合は、当然のことながら、システムの凝集度や連結度など設計上の制約条件を満たさなければなりません。また、システムのパフォーマンスは、人間の認知能力の限界や、人々がどれだけ善意にもとづいて行動するかという限界からも影響を受けます。これら設計上の制約条件を逸脱したり、人間の認知能力や善意の限界に対応できないとき、システムはトラブルを起こし、最悪の場合、破たんします。

 以上述べた情報システム像は、金融危機や社会主義体制の崩壊をはじめ、現実の社会システムの動きをよく表していると考えられます。
 人々の生活に重大な影響を及ぼす経済システムに関して、理論的に経済の最適状態が2通りあることを早い段階で見出したのは、人類のきわめて賢明なところです。しかし、情報システムの不備のために、その最適状態が実現できていないのですから、この問題を解決することは、情報システム学が果たすべき最も重要な社会的役割です。

 多くの先覚者の考察をもとに、今回明らかにできた情報の概念、人間の情報行動の基本モデル、情報システムの本質モデルとその進化の歴史をベースに、さらに新しい情報システム学体系化のプロジェクトを推し進め、社会の重要問題のソリューションに貢献していくことが、序説完成以降の情報システム学会のミッションと考えられます。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
 皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。