情報システム学会 メールマガジン 2012.8.25 No.07-05 [7]

連載 オブジェクト指向と哲学
第20回 パターン言語 - インターネットを考える

河合 昭男

 前回は「パターン言語 - ハイエクの視点(設計主義批判)」と題してクリストファ・アレグザンダー(C.A.)とハイエク(Friedrich August von Hayek)の思想の共通点について考えました。
 社会や都市など、多様な価値観を持つ人々がそこで生活を営む大きな共同体の全体の成長を、人は設計どおりにコントロールできない。しかし、住民がその共同体を必要とするならそこに自生的秩序というものが生まれてくる。ハイエクはそこに経験に基づく慣習法を見出し、C.A.はクオリティを生み出すパターンを見出す。

 今回はインターネットを題材にしてC.A.とハイエクの視点で考えてみたいと思います。インターネットは誰かが全体設計し、管理しているものではなく、オープンな技術を個人や組織が活用して自然に成長してきたものです。ここにC.A.とハイエクの思想に共通する事例を見ることができそうです。
--
 「不完全な知識にもとづいて生まれ、つねに進化を続ける秩序が、あらゆる合理的な計画をしのぐ」というハイエクの予言を、インターネットは証明したのである。[3]
--

C.A.の視点
 再度繰返しますが、C.A.が目指す「成長する全体」には4つの特徴があります。[1]
 --
 1.全体は少しずつ成長していきます。
 2.全体は予測できません。
 3.全体ははっきりしたまとまりをもっています。
 4.全体は情感に満ちています。
 --

 C.A.が対象としているのは町とその住民で、その全体の成長を課題としています。今回はインターネットとそのユーザーを対象とし、その全体の成長を考えます。

1.全体は少しずつ成長していきます。
 インターネットはオープンな技術とPCの普及により急激に拡大してきました。インターネットのユーザーの拡大は、IPアドレスの枯渇という現象にも表れています。現在使用されているインターネットの通信プロトコルTCP/IPで使用されるIPアドレスは当初(v4)4byteで十分だと考えられ今日にいたりました。4byteあれば約42億ノードを割り当てることができ、v4が制定された’80年代前半の世界人口は丁度42億を超えたあたりでした。一人にひとつという訳ではありませんが、不足してきたのでこれからv6(16byte)に移行されるようです。

 インターネットが急拡大した原因の第1ステップは80年代から普及したTCP/IPベースの通信技術であり、第2ステップは90年代に発明されたシンプルなブラウザが貢献します。さらにこれら2つの基本技術がオープンにされ、誰にでも自由に製品を開発できたことです。’90年代前半頃からブレークしたWindowsによるPCの普及との相乗効果が生まれました。

2.全体は予測できません。
 全体の成長は誰もコントロールすることはできず、予測できません。前回はこの2に注目し、設計主義批判として述べました。
 C.A.の設計主義批判は、そこで実際に生活する住民が満足するクオリティをアーキテクトは設計できないし、設計すべきでないという考え方です。
 ハイエクは、個人に分散する知識を集めてコントロールできるのは小さな組織 − タクシスであり、社会などの大きな共同体 −− コスモスでは完全な知識を求めることは不可能なことなので、人がコントロールすることはできないとしました。

 アダム・スミスが発見した「分業」に対して、ハイエクは「知識の分業」という概念を見出しました。スミスの「分業」とは、誰も指揮していないのに、あたかも社会全体がひとつの工場のように機能する仕組みです。[3]
 --
 人々がだれも経済全体についての知識をもっていないとき、異なる人々の心のなかにある知識の断片を結合して、全体を指揮する知識がないと意図的に実現できないような結果をもたらすには、どうすればいいのだろうか?この意味で、だれも計画しなくても、個人の自発的な行動によって、一定の条件のもとで、全体があたかも一つの計画でつくられたかのように資源を配分することができることを示せば、比喩的に「社会的な心」と呼ばれることのある問題に答えを出すことができよう。[3]P70
 --

 インターネットは正に分散する知識であり、そこで「知識の分業」が行われています。冒頭に挙げた一文を再掲します。
 --
 「不完全な知識にもとづいて生まれ、つねに進化を続ける秩序が、あらゆる合理的な計画をしのぐ」というハイエクの予言を、インターネットは証明したのである。[3]
 --

3.全体ははっきりしたまとまりをもっています。
 C.A.は全体性に必要な中心を作りだすプロセスを模索します。中心は一点ではなく構造を持ちます。ある中心はより大きな中心の部分であり、自身はより小さな中心を持ちます。
 (中心の場もホロニックなシステムになっている。[1]注釈)
 --
 全体性のある状態は、常に同じようなはっきりしたプロセスによって生まれる。このプロセスは、「中心の場(the field of center)」として定義される空間的構造を生み出しながら徐々に進行する。[1]P44
 --
 この「中心の場」はインターネットではポータルサイトにあたりそうです。ポータルサイトはネットワークのハブとして中心を形成します。ポータルサイトという中心を通してユーザーは分散する知識の交換を活性化することができます。

4.全体は情感に満ちています。
 これは何ともコメントできません。都市というハードウェアに比べてインターネットは眼に見えません。ユーザーが直接使用するのはブラウザやメールであり、それを通じて感じるのは相手の存在であり、インターネットの存在を感じることはほとんどありません。
 C.A.は、自分自身が町や建築あるいは風景と一体感を感じるか、対象が自分自身と連続体となっていると感じられるかということを重視します。それはまず視覚から入り、段々と自分自身の心の奥まで入ってきて違和感はないか、本当に心底一体感を感じるのかということです。インターネットという目に見えないものにここまで感じ取れるのかという問題です。

分散知識交換の場
 ハイエクは経済活動の場を「分散する知識交換の場」と捉えました。分散する知識は誰かが全体把握することのできないもの、いわば超ビッグデータです。社会主義的計画経済は完全な知識により全体をコントロールできるとしましたが、その知識は完全ではなく部分的な不完全な知識に過ぎず、全体をコントロールできるという発想を否定しました。
 それができるのは小さな組織 - タクシスであり、国家レベルのコスモスに適用するのはそもそも発想として無理であり、間違っているとしました。

 社内や限られた小さな組織 - タクシスのネットワークは当然ながら管理します。インターネットはコスモスであり正に「分散する知識交換の場」(図1)であり誰も全体を管理できません。

図1 分散知識交換の場
図1 分散知識交換の場

 タクシスの法はテシスであり、コスモスの法はノモスです。管理の必要な小さな組織のルールは組織が決めることができます。それをテシスと呼びます。
 一方コスモスは誰かがトップダウンにルールを決めることはできません。ルールがないからといって無法地帯にすれば困るのは住民です。コスモスの存在価値を認めるなら住民は何らかのルールあるいはマナーというものが自然に共有されてきます。それが自然に醸成され洗練化される慣習法でありノモスです。自生的秩序が生まれます。(第19回図3再掲)

第19回図3再掲 パターン言語はコスモスとノモス
第19回図3再掲 パターン言語はコスモスとノモス

【参考書籍】
[1]C.Alexander, A New Theory of Urban Design,1987
難波和彦監訳「まちづくりの新しい理論」鹿島出版会、1989
[2] C.Alexander, The Oregon Experiment,1975
宮本雅明訳「オレゴン大学の実験」鹿島出版会、1977
[3]池田信夫、「ハイエク」、PHP、2008
[4]仲正昌樹、「いまこそハイエクに学べ」、春秋社、2011
[5]松原隆一郎、「ケインズとハイエク」、講談社、2011
[6]大川隆法、「未来創造の経済学」、幸福の科学出版、2010


ODL ObjectDesignLaboratory,Inc. Akio Kawai