情報システム学会 メールマガジン 2011.5.25 No.06-02 [11]

連載 情報システムの本質に迫る
第48回  「実践論」 の情報システム学

芳賀 正憲

 日中が国交回復して最初の大規模技術協力プロジェクトで、中国のコンピュータ技術者の教育を担当しました。わが国の仕事の進め方として、いわゆるデミングの管理サイクル(PDCA)の理解は必須ですが、中国の技術者には、「PDCAが決して米国や日本に特有のものでないこと、1937年に毛沢東の著した「実践論」に、PDCAと同等の内容が書かれていること」を説明しました。
 毛沢東が、日本の侵略と国民政府による攻撃に打ち勝って中国の統一を成し遂げたのは、「実践論」(と「矛盾論」)の考え方が基本にあったからだとも言われていますが、本稿でとり上げたのは、情報システムの本質モデルとの関連です。本年1月1日号のメルマガで、仮説実証法(PDCA)のサイクルが情報システムの本質モデルと言えるのではないかという提案をしました。毛沢東の著作は、実践を中心にそのプロセスを詳細に解説したものと考えられます。

 以下は、1952年初版発行の毛沢東選集刊行会訳「新訳 実践論・矛盾論」の9版(1959年)によります。かなり古い本ですが、しかし近年、経営学の泰斗・野中郁次郎氏が毛沢東を、代表的な戦略的フロネティック(賢慮型)リーダとして高く評価し著作や講演でとり上げてクローズアップされつつあるとはいえ、社会主義体制凋落の中で、かつて6種類以上の翻訳がでていた「実践論・矛盾論」は、1984年以降絶版になっていて、今となっては入手のむずかしい、大変貴重な書物です。

 盧溝橋事件の起きた1937年7月に書かれた「実践論」には、冒頭この論文が「教条主義者と経験主義者がともにまちがっているのを正すために執筆された」という、中国における毛沢東選集出版委員会の趣旨説明が付されています。当時、一方は固定化した理論を金科玉条と考えて経験から学ばず、他方は自己の限られた経験に固執して理論の重要性を忘れ、ともに実践の方向を誤らせていました。教条主義と経験主義の誤りは、決して当時の中国のみにあったものではなく、今日わが国の情報産業界においても、とかくどちらかに意見が分かれがちになるのは反省点です。

 「実践論」は、認識と実践の関係―知識と行動の関係―を論じていて、これが副題となっています。
 ここでは、理論(認識・知識)が実践に依存する関係が強調されています。理論の基礎が実践であり、理論がまた転じて実践に奉仕するものとなります。理論が真理であるかどうかの判定は、主観的にどう感じるかによって決まるのではなく、客観的に社会的実践の結果どうなるかで決まる、真理の規準は社会的実践でしかあり得ないとしています。
 したがって、仕事で成功するには自分の考えを客観的な外界の法則性に合わさなければならず、合わさなければ失敗します。しかし「失敗してもそこから教訓をつかみ、自分の考えを改めて、これを外界の法則性に適合させるようにすれば、失敗を成功に変えることができる」と、すでに失敗学の基礎が述べられています。

 社会的実践活動のベースは物質的生産活動ですが、そこから派生してさらに、自然の性質や法則を研究する活動、組織内における人間の相互関係を調整・発展させる活動、社会における組織相互・人間相互の関係を調整・発展させる活動、芸術活動などが含まれます。したがって、理論(認識・知識)もそれらの諸活動に対応して獲得されます。人間の生産活動が多様化し、低い段階から高い段階に発展するにつれて、人間の生産活動、自然界、人間や組織の相互関係に関する理論(認識・知識)も併せて多様化し、レベルアップしていきます。

 次に理論(認識・知識)は、どのようにして実践から生まれ、どのようにして実践に奉仕するのか、その発展過程を見ていきます。
 もともと人間は、実践過程で事物の現象面・一面・外面的なつながりを見ています。これは認識の第一段階、感性的段階です。
 社会的実践の継続によって感性的段階が何回もくり返されると、人間の頭脳の中に認識過程における突然の変化が起こり、概念が生まれます。(帰納の働きと思われます。)概念はもはや事物の現象・一面・外面的なつながりではなく、事物の本質・全体・内部的なつながりをとらえたものです。この概念に対して、さらに判断と推理を加えていけば、論理にかなった結論を生みだすことができます。これが認識の第2段階、理性的段階です。

 概念・判断・推理の段階は、全認識過程の中で、より重要な段階です。認識の真の役割は、感覚を通じて思惟に到達し、次第に、客観的な事物の内部的な矛盾・その法則性・1つの過程と他の過程との間の内部的なつながりの理解にまで到達すること、すなわち論理的認識に到達することです。この段階では、対象世界の内在的諸矛盾が明らかになり、それによって対象世界の動向を、対象世界の全体性において、またそのあらゆる面での内部的なつながりにおいて、とらえることができるようになっています。
(1979年デマルコの提唱した構造化分析では、まず対象世界のありのままの姿を現行物理モデルとしてまとめ、それを論理化して、マクメナミンたちのいう本質モデルをつくります。毛沢東の主張もデマルコと同様、そのルーツはヨーロッパにあると考えられますが、1937年すでに同様の対象世界認識方法を提唱しているのは大したものです。)

 実践を通じて私たちが感覚でとらえたものでも、それをすぐに「理解」できるとは限らないこと、「理解」したものは、実践を通じてより深く感覚でもとらえられることは明らかです。しかし感覚は現象の問題を解決するだけであり、本質の問題を解決するのは理論だけです。ただし実践を離れては、どちらの問題も解決することはできません。何らかの事物を認識しようとするものは、その事物の環境の中で生活し、実践することが必要です。封建社会において資本主義社会の法則を認識することは、誰もできませんでした。
(この主張にもとづくと、社会主義社会が成立するまでその真の矛盾は、マルクス、毛沢東といえども認識していなかったこと、メルマガの2009年7〜9月号で紹介したハンガリーの経済学者コルナイが、いかに貴重な研究をしていたかということが分かります。)
(わが国産業界で強調されている3現(現場・現物・現実)主義の正統性の根拠が、上記の主張にあったことが分かります。ただわが国では、論理的認識の段階はやや軽視される傾向にありました。)

 人間の知識は、自らの直接的実践経験を概念化し判断・推理して得たものと、(他人が)実践経験を概念化し判断・推理した結果を情報として受け取ったものと、2つの部分から成り立ちます。後者には、概念化と判断・推理をそれぞれ別の他人が行なって、その結果を情報として得るというバリエーションもあります。いずれにしても、すべての知識は本来(誰かの)直接的実践経験から切り離すことができないものです。
(情報社会になって、後者の比率が圧倒的に増していると見てよいでしょう。概念化と判断・推理を、実践経験に乏しいジャーナリストやいわゆる有識者が進めた場合、メルマガの2010年5月号「ジャーナリストの説明責任」で述べたように、さまざまな誤った情報が広く世の中に伝えられることになります。)

 「実践論」には、認識が時間とともに深化する運動であることを示す例が、歴史的な大きなテーマから、身近な仲間が仕事に取り組む過程まで、いくつか挙げられています。
 資本主義社会に関する労働者の認識は、機械打ちこわしや自然発生的争議の時期は感性的認識の段階でした。しかし第2の段階に至ると、資本主義社会の本質が理解されるようになり、意識的・組織的に経済闘争・政治闘争が行なわれるようになります。
 仕事に自信がもてない仲間がいた場合、それは彼がその仕事の内容や環境について法則的理解ができていないか、あるいは今までそうした仕事の実践経験がなかったことが考えられます。そこで指導者が、仕事の状況や環境をくわしく分析して示してやると、少し確信がもてて、その仕事をやってみようと考えるようになります。一定期間経験を積み、そして彼が虚心に状況を観察して問題を客観的・全体的・本質的に考察する努力をするなら、彼はどのように仕事を行なうべきか、結論を自分で出すことができるようになり、仕事に対する意欲も大いに高まっていきます。

 「理性的認識は、実践にもとづく感性的認識に必ずベースをもたなければならない」、一方「認識の感性的段階は、必ず理性的段階にまで発展させなければならない」、これが実践にもとづく認識論において、まず重要な2つのポイントです。

 しかし、実践にもとづく認識論においてさらに重要なことは、感性から理性へという認識運動の中で得られた対象世界の法則的理解をもとに、対応した思想・理論・計画・方策をつくりだし、それを能動的に再び社会的実践過程の中にもどして、予期した結果がもたらされるかどうか確認することです。これによって科学的な理論の客観的真理性が実証できるだけでなく、計画や方策が生産方式や人間・組織の相互関係の改善をめざしている場合、目的どおりの結果が得られれば、対象世界の改造が実現できることになります。
(先に述べた構造化分析では、現行物理モデルを論理化して本質モデルにしたあと、問題を解決し課題に対応する新しい本質モデルをつくり、それを新たな物理モデルにブレイクダウンして実装します。これによって対象世界(システム)の改造が実現します。実践にもとづく認識論との見事な符合に驚きます。欧米では、システム開発技法も哲学とつながっていることがよく分かります。)

 一般的にいって、最初につくった思想・理論・計画・方策が少しも改められず実現することはまれで、多くの場合何度も失敗をくり返して、はじめて客観的な法則性に合致した目的どおりの結果が得られるところまでいきます。ここでようやく人間の認識運動はいったん完成したことになります。

 しかし、対象世界を構成する自然(人工物を含む)と社会の状況は、時間とともに変化し、新たな段階にはいっていきます。人間の認識運動も、それとともに発展していかなければなりません。自然と社会の新たな状況に応じて、新たに認識を深め、それに対応して思想・理論・計画・方策を改善していく必要があります。
 一方、人間の認識は、自然・技術・社会的条件による多くの制約を受けており、そのため思想などのレベルアップが、自然や特に社会情勢の変化に対して遅れることがよくあります。また逆に遅れるのを恐れるあまり、客観的情勢から飛躍しすぎ、現実離れした思想に走ってしまうこともあるので要注意です。

 実践・認識・再実践・再認識・・・のサイクルが無限にくり返され、サイクルごとに実践と認識のレベルが高い段階に進んでいく、これが実践にもとづく認識論における知識と行動の統一の見地です。

 毛沢東に関しては、野中郁次郎ほか著「戦略の本質」(日本経済新聞社)の最終章に、次のように書かれています。
 「さらに驚くべきことは、(毛沢東は)「実践論」「矛盾論」を兵士に講義し、その特定のコンテクストへの応用の結果を「軍事民主」の討論の自由のなかで反映させ、日々の実践感覚として共有させたことである。少なくとも若き日の毛沢東は、賢慮型リーダーシップを発揮していたといえるだろう。」

 リーダ自らこれだけの著作をなし集合教育まで行なっているのですから、大中国が彼の手によって統一されたのは必然の流れだったと思われます。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からもご意見を頂ければ幸いです。