情報システム学会 メールマガジン 2010.1.1 No.05-09 [15]

連載 情報システムの本質に迫る
第43回 情報システム学会のフロンティア

芳賀 正憲

 「はやぶさ」のプロジェクトマネージャ、川口淳一郎教授のお話を伺う機会がありました。度重なる絶望的ともいえる状況の中で、リカバリの確率を求め、創造的に問題を解決して、7年がかりの偉業を成しとげられたのですが、「高い塔を建ててみなければ、新たな水平線は見えてこない」ということを強調されていました。
 設立7年目を迎える年の初め、情報システム学会にとってもフロンティアがどこにあるのか、見きわめて共通認識とすることが必須の作業と思われます。本稿では、「新情報システム学の体系化」「社会システムの分析」「社会への提言」を、3つの重要な最前線の活動領域として提起したいと考えます。

 情報システム産業界と学界が手を携えて業界の発展と人材の育成を進めていくためにも、またその前提となる大学の一般教育や高校の教科「情報」を改革していくためにも、新たに情報システム学の体系化を進めていかなければならないことは、メルマガの2009年5月号で述べたとおりです。情報システム学会では、すでに調査研究委員会を発足させ活動を開始しています。
 しかしその活動がネックに差し掛かっているのも事実です。要因としては、学会の理念でもある「人間中心の情報システム」とはいったい何なのか、その基本概念(本質モデル)が明らかになっていないことが挙げられます。基本概念があいまいな状態では、その先に進めようがありません。

 学問の体系も、体系である以上1つのシステムです。新しいシステムを開発するためには、まず本質モデルを明らかにした上でそれを具体化することが普遍的なプロセスになります。
 「人間中心の情報システム」の本質モデルとしてヒントになるのは、京都大学名誉教授の人見勝人氏が主張されている「生産システムにおける一連の行為は、人間が事を行なうに当って根源的に意思決定しなければならない人間行動の基本的パターンである」という命題です(「システムと制御」第32巻第8号)。「人間が事を行なう」というのですから、生産はもちろん、営業やサービス、医療、研究、教育、それにハイキングや婚活もすべて該当します。それらを行なうときの意思決定のプロセスが、生産システムにおける一連の行為と基本的に同じになると言われているのです。

 ここで、生産システムも1つのインスタンスですから、本質モデルとするためには、あと一段抽象化が必要です。生産システムの最も重要な特質は、人工物をつくっていくための多段階のPDCAサイクルであること、すなわち今道先生の言われる生圏を整えていくための多段階の仮説実証プロセスであることです。したがって、メルマガの2009年1月5日号でご紹介した東工大名誉教授・市川惇信氏がご提示の、技術に関する仮説実証法のサイクルが、5万年も前から継承されてきている人間中心の情報システムの本質モデルと考えてよいのではないでしょうか(下図参照)。

科学が進化する5つの条件(1)

 このサイクルは、直接的には技術の開発を念頭にして表記されていますが、「方法の考案」を「計画」とし、「試行」と「試作物」をそれぞれ「量産」「製品」としても、また「サービスの実行」「その成果」としても成り立ちます。
 これらのサイクルは、個人あるいは大小の組織など各主体単位に、また一般的に短・中・長期と、時間の単位を変えて多段階で回されます。サイクルの中の各プロセスは、課題に応じて詳細化・具体化がなされます。
 複数のサイクルが協調して、各プロセスを進めていくためには、思考とコミュニケーションの活動が必要です。このとき、言語技術が基盤になります。
 どのような組織をつくって、どのようなプロセスからなるサイクルを形成するか、それらのプロセスにどれだけ情報機器を採用するかを決定し実現していくためには、課題の分析と解決策の立案、システムインテグレーションが必要です。これらを的確に実行していくためにはモデリング技術が必須です。

 課題の分析と解決策の立案は、上図のサイクルの左下部分、「科学の対象」「科学の成果」のプロセスで行なわれますが、このプロセスは市川氏によると、特に17世紀後半以降、それ自体やはり仮説実証のプロセスとして発展してきたもので、この発展により全体のサイクルの高度化も著しく進みました。
 下図に市川氏の描かれた、科学としての仮説実証プロセスを示します。人間の活動において演えき法、それに明示はされていませんが実質的に帰納法と発想法がいかに重要な位置づけを占めているかが分かります。

科学が進化する5つの条件(2)

 このようにして人間中心の情報システムの本質モデルを明らかにすることにより、言語技術、モデリング技術、問題解決技術、システムインテグレーション技術、それに、これら全体を通じて論理思考技術の重要性と位置づけが整理され、さらにいわゆる参照領域との連関もはっきりさせていくことができます。ダイナミックで実践的な新しい情報システム学の体系として、大学教育や高校の教科「情報」にブレイクダウンすることも容易に可能になるのではないでしょうか。

 情報システム学会のフロンティアとして、次に「社会システムの分析」が挙げられます。
 メルマガの2010年10月号でも述べたことですが、情報システムの専門家は過去半世紀、企業や工場、機器(電化製品や自動車など)の情報システム化を図ってきました。それぞれの分野で、経営や製品の品質の向上、業務の効率化や最適化が進められ、その功績はまことに顕著なものがあります。
 しかし、さらに次元を1つ高めたわが国の社会トータルのシステムは、まだ手つかずで、しかも問題山積です。国際競争力は低下し、財政はひっ迫、経済成長率は低迷し、失業率・相対貧困率は高く、高校・大学新卒の就職内定率はそれぞれ57.1%、57.6%と憂慮すべき水準になっています。「失われた」と言われる20年が、この先さらにどれだけ続くのか、目途の立たない状態です。
 これらの問題を解決するのは、もともと政治家の役割です。しかし一国の「社会」は、きわめて多様な要素から成り立つ複雑なシステムを形成していて、第1に選挙、第2が政局で、「政治」の優先度を著しく低く設定している今日の政治家には到底アプローチできるものではありません。
 しかし振り返ってみると、企業や工場、機器などの情報化も、既存の経営者や管理者、技術者だけで主体的に進められることは、ほとんどありませんでした。情報システムの専門家の積極的な働きかけがあって、はじめて今日のような大きな発展をとげてきているのです。「社会」と政治家との関係においても、同じことが言えます。
 幸いにも現在、大学関係者や団塊の世代など、企業の立場から独立して「社会」の観点から情報システムの研究ができる専門家の数は、わが国できわめて多数におよんでいます。これらの人々が情報システム学会を通じて結集し、社会システムを分析、問題解決策を立案・実現していけば、わが国をもっと幸福度の高いエクセレントな社会に改革していくことが可能なのではないでしょうか。

 アプローチの方法として、例えば失業率や就職内定率に関しては、2010年のノーベル経済学賞を受賞した「サーチ理論」の適用が考えられます。
 サーチ理論とは、九州大学・今井亮一准教授によると、ものやサービスの取引相手を探す(サーチ)行為に着目し、市場の取引構造を分析するもので、取引相手をうまく見つけることができないため、需要が十分あるのに取引量が過少になる状況は、サーチ理論によって説明できます。
 同志社大学・橘木俊詔教授によると、現実の経済で失業と欠員が同時に存在(ミスマッチ)することが避けられないということが、サーチ理論で明らかにされています。この理論は労働政策に応用でき、いくつかの西欧諸国で失業率の低下に成功しました。
 橘木教授が引用されている統計によると、1995年から2007年の間、わが国の失業率のうちミスマッチによるものは、2.1%〜3.5%、平均的に2%台後半の値で推移しており、ほとんどの期間において求人不足による失業率より高い値を示しています。わが国においてもサーチ理論に立脚して、就職情報の求職者と求人企業による共有、職業訓練の徹底、新規開業企業への支援、賃金補助、ワークシェアリングの導入などの諸政策が必要であると橘木教授は主張されています。(サーチ理論に関しては、日本経済新聞「経済教室」を参照)
 サーチ理論による問題構造の分析と解決策の立案プロセスは、情報システム学的アプローチとほとんど同等のものです。このことはまた、社会システムの分析に関して、情報システム学と現在参照領域となっている経済学との密接不可分の関係を示しています。
 経済学や政治学による「社会システム」の分析に協力し、解決策の現実社会への実装にともに貢献していくことは、大学関係者を始め、企業から独立した情報システム専門家の責務ではないかと考えられます。

 情報システム学会の最前線の活動領域として次に特筆されるのは、「社会への提言」です。
 情報化の進展にともない、社会的に影響の大きい問題が続出していますが、その説明が、いわゆる有識者やジャーナリストによって必ずしも適切におこなわれていないことは、このメルマガの2008年の2月号「利用者責任 vs. 開発者責任」、2010年の5月号「ジャーナリストの説明責任」などで述べたとおりです。2010年に起きたプリウスのリコール問題では、前提となる事実関係の認識を誤り、したがって論理的にはまったく成り立たない解説さえ大新聞に掲載されたのです。このような状態では、わが国の情報化の進展が円滑に図られるわけがありません。
 このため、情報システムに関わる社会的に影響の大きい問題に関しては、その構造を分析し本質を解明して、これからの指針を示していく情報システム学会の役割が、他にそのような使命感をもった団体がないだけに、きわめて大きいと言えます。現実に情報システム学会では、これまで「東証における誤発注問題」「年金記録管理システム問題」「プリウス・ブレーキのリコール問題」などについて分析を進め、提言をしてきました(年金問題については学会有志により発表)。しかし、もちろんこれら以外にも重要な問題は多数横たわっており、今後さらに提言活動を活発化させていく必要があります。

 一例として、2010年の全国大会でベストプレゼンテーション賞を受けられた国際大学・砂田薫准教授の論文「デンマークにみるユーザー中心の情報化」で提起されている問題があります。世界経済フォーラムのICT(情報通信技術)国際競争力ランキングで、2006年〜2008年、デンマークが連続3年1位、2009年はスウェーデンが1位でしたが、日本は各年それぞれ14位、19位、17位、21位でした。
 総合順位自体は評価基準の偏りという側面があるとしても、砂田氏が指摘されているように、わが国の公的セクターの情報化に大きな課題が残されていることはまちがいありません。蓮舫議員が「世界一になる理由は何があるのか」と説明を求めただけで、「世界一でなければならないのだ!」と、科学技術関係者からも野党からも嵐のような非難を受ける社会で、公的セクターの情報化という重要分野がこのような状態で放置されているのは驚くべきことです。
 情報化プロジェクトのマネジメントやシステムインテグレーションに多年の経験をもつ専門家の結集している情報システム学会が、総力を挙げて実効的なソリューションを提言すべきテーマと思われます。

 「新情報システム学の体系化」「社会システムの分析」「社会への提言」、いずれもハードルの高い課題ですが、これらを達成してはじめて情報システム学会設立の理念が実現すると思われます。困難な状況の中で1つ1つ問題を解決しながらサンプルを地球まで持ち帰った「はやぶさ」の足跡に思いをはせながら、高い塔を建て水平線を広げていきましょう。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からもご意見を頂ければ幸いです。