情報システム学会 メールマガジン 2010.6.25 No.05-03 [8]

連載 著作権と情報システム 筆休め寄稿
日本における契約観について

司法書士/駒澤大学  田沼 浩

 原稿の締め切りを忘れていたとか、約束した報告書を見落として期限内に提出できなかったなど、口頭だったため忘れてしまったり、内容を見落としたりすることはよく起こります。一見何事もなく済んでしまうことが多いこのような日常での出来事は、本当に問題にならないのでしょうか。私たちの国【日本】は明治維新(1868年)を経て国内統一と国家体制を改革する段階で、諸外国の法制度をいち早く導入し、当時の西欧列強から植民地化されることなく、近代化を果たしました。契約の基本法(一般法)である民法も明治23年(1890年)に公布、同26年(1893年)に施行されました。フランス民法が施行された1804年から日本の民法の施行まで約一世紀近くかかったとはいえ[1]、明治維新から僅か四半世紀で、近代的な民法典が全国民[2]に適用されることになったわけです。アジアだけ見れば突出したその法整備は、その後のわが国に有利(条約改正など)に働きました。
 市民社会[3]は、「自由、平等、独立」を基本理念とし、『契約の自由』は近代民法の基本的原則でもあります。
 「契約」は、「自由」という側面だけでなく、(契約によって)『拘束(約束)』という別の意味を持っています[4]。「契約」において「自由と拘束は盾の両面※ (渡辺洋三 2005、以下同じ)P49」として一体となってあらわれます。日本国民は「契約の自由」という内容は理解していますが、市民社会の「契約の自由」を守るための「契約による拘束(約束)」については「共同体的契約観[5]」から意識されにくいことがあります。たとえば、ある団体が雇用契約を結んだにも関わらず、給与の一部を強制的に返還させるような行為が「共同体的契約観」から生まれてくるのであれば、「社会的強者の恣意を拘束」し、「社会的弱者の権利と自由を保障する※P59」という「契約の構造や機能※P59」を崩壊させることにもなります[6]。
 奴隷制度や封建的な身分社会から脱して市民社会、資本主義社会を維持する「自由、平等、独立」という権利を守るためにも、「約束」を守る契約観を身につけなければなりません。「共同体(組織)的行動」は重要だと思いますが、「共同体的契約観」は持つべきではないと考えます。
 読者の皆さまは、当然、既に「約束」を守る契約観を身につけていらっしゃると思います。こまめなチェックをお忘れなく。

[1] ドイツ民法典の施行は1900年。
[2] 旧法例(明治31年の法例や現在の法の適用に関する通則法の前)の範囲で適用。
[3] 人間の諸関係が、自由・平等・独立な市民相互の関係としてあらわれる社会。※P37
[4] ただし、人身売買など公序良俗に反する契約内容には拘束されない。
[5] 契約を、対立する当事者の関係と見ないで、相手と一心同体の関係としてみるという意味。※P57
[6] ただし、一定の条件において、会社が労働組合などとの話し合いで給与の減額などの合意をすることは有効である。

引用・参照文献
法というものの考え方、渡辺洋三著、日本評論社、2005年5月(※)
民法のすすめ、星野英一著、岩波新書、1998年1月
法の哲学、G.W.F.ヘーゲル、尼寺義弘訳、晃洋書房、2009年3月