情報システム学会 メールマガジン 2009.2.25 No.03-11 [6]

連載 情報システムの本質に迫る
第21回 情報システム開発と組織開発

芳賀 正憲

 かつてわが国でも、社会主義は、学者や勤労者、学生を中心に多くの支持を集めていました。政党とイデオロギーの支持率が完全に一致するわけではありませんが、1950年代の世論調査で、社会党の支持率が40%に迫っていたことがあります。
 働く人たちが主人公になり、失業や格差がなく、福祉の充実した社会をつくっていくという考え方は、貧困を克服できていない資本主義に比べて、はるかに優れていると認識されていました。社会主義国を訪問した政治家や文化人によって伝えられる「衛生状態が完璧」「盗難がなく、忘れ物が距離を問わず届けられる」「"一人は万人のために、万人は一人のために"というスローガンを体現した理想的人間像が育まれつつある」などのエピソードは、イデオロギーの正しさを実証するものとして広く流布していました。
 しかしこれらの報告のほとんどは、訪問した国のいわば陽の当たるルートを視察してなされたものです。実際に社会主義国の生産現場にはいって仕事をしてみると、生産性も品質も著しく低いレベルにとどまっていることが分かります。流通業などにおけるサービスも、決して行き届いたものになっていません。
 現地で現実を観ると、原因は明らかです。第1に、社会主義国では、中央政府が国全体の経済の計画と管理を行なうことになっていますが、少なくとも20世紀の半ば以降、人口の多い国では、管理項目数が天文学的な値になっていて、人間の認知・管理能力の限界を超えていました。第2には、社会主義体制の下、働く人全員が"公務員セクター"に置かれることになったのですが、そのことによって生じる、問題解決に取り組むモラルの低下です。公務員セクターがいかにPDCAを回していくことに不作為となるか、わが国の場合(典型的には社会保険庁)を見てもよく分かります。このようにして、世界最初の社会主義国・ソ連は、科学技術など部分的にいくつかのめざましい成果を挙げながらも、経済が破たん状態に陥り崩壊しました。
 しかし、米国の現状を見て明らかなように、社会主義に勝利したはずの自由主義・資本主義経済もまた、破たんの危機に瀕しています。

 サブプライム問題がどのようにして起きたかということは、このメルマガの昨年11月号で述べました。
 米国では、もともと銀行など単一の主体で行なっていたローンの機能を、契約の取次ぎから資金の拠出まで、ブローカー、銀行など金融機関、証券会社、モノライン(保険会社)、格付け会社、投資家、SIVなど、7つものモジュールに分けて実現することにしました。そのため最終的に資金を拠出する投資家にとって、証券化のプロセスや、最上流のブローカー・金融機関が進めているローンの実態が見えなくなってしまいました。
 一方、ブローカー・金融機関では、ローンの実態が後工程から見えないのをよいことに、サブプライム層を対象に、略奪的・詐欺的とも称される契約を結び、そのようにして得られたリスクの高い債権を証券会社に流していました。すなわち、サブプライム問題においても、社会主義経済が崩壊したのとまったく同様に、プロセスの複雑さが(特に投資家にとって)人間の認知・管理能力の限界を超えていたこと、現場でモラルハザードが起きていたことが破たんの原因になったのです。

 メルマガの11月号でも述べたように、サブプライム問題の場合、もともと銀行など単一の主体に凝集していた機能を7つに分けたため、各モジュールの凝集度が著しく低くなり、一方、すべてのモジュールが住宅ローンという共通のオブジェクトを受け渡したり、支払を保証したり格付けしたりしているため、その連結度が非常に高いものになりました。つまるところ、凝集度を高く連結度を低くすべきという、情報システムにおけるモジュール化の原則に反して、最悪の組織構造をつくってしまったため、そのプロセスの複雑さが人間の認知・管理能力の限界を超え、モラルハザードを起こしてしまったのです。

 そこであらためて社会主義経済の構造をふり返って見ると、単一の中央政府で、生産、流通、研究、教育、医療、福祉など国全体の多岐にわたる人間活動の計画・管理を一手に引き受けて行なうのですから、その役割は雑多な機能の寄せ集めになり、やはり凝集度が低く連結度の高いものになります。
 結局、社会主義経済であれ自由主義・資本主義経済であれ、情報システムにおけるモジュール化の原則に反して、凝集度が低く連結度の高い、悪しき組織構造をつくることが、人間の認知・管理能力の限界を露呈させ、モラルハザードを起こし、経済の破たんをもたらすことが分かります。

 それではなぜ、情報システムにおけるモジュール設計の原則に反して組織構造をつくることが、組織活動の破たんをもたらすのでしょうか。それは組織自体が1つの情報処理システムだからです。
 この考え方のルーツは、1978年にノーベル経済学賞を受賞したH.A.サイモンにさかのぼります。「人間は一人一人、生存し自己実現をはかっていくために情報処理を行なっているが、個人のなしうる範囲には限界がある。組織とは、この限界を克服するために、システムとして形成されたものである」・・・彼の考えは、このようにまとめることができます。

 あらゆる組織が、その組織特有の文化をもっていることは明らかです。文化人類学者のE.T.ホールは、情報処理の観点から文化の問題にアプローチするという、注目すべき研究を行いました。文化の定義はきわめて多様ですが、ホールによると、文化とは人類が発展させたことで、他の生物とは異なる存在になった1つのシステム―すなわち情報を創造し、伝達し、蓄積し、加工するシステムを指し、習俗、伝統、慣行、習慣などの語は、「文化」という包括的な言葉に包含されます。
 したがって文化とは、まさに人間が組織的に行なっている情報処理システムそのものを指していて、その意味では、サイモンとホールは、ほとんど同等のことを言っているということができます。

 具体的な組織活動である「ものづくり」のプロセスを、情報システムとしてとらえる観方が、東大の藤本隆宏教授によって示されています。
 藤本教授は、製品の開発プロセスを製品設計情報の創造プロセス、設備など生産プロセスは製品設計情報が蓄積されたものと考えました。また、ものづくりの作業は、製品設計情報を媒体である素材に転写することであるとみなしました。お客様は、媒体に載っている製品設計情報を受信して活用し、効用を得ることになります。ここで製品設計情報とは、製品コンセプト、仕様書、製品設計図面、試作品、実験結果、工程設計書、マニュアル、熟練などを指し、設備も製品設計情報のかたまりと考えます。
 「ものづくり」のプロセスを情報システムとみなすことにより、「ものづくり」に関わる目的関数も、すべて情報システム的に説明が可能になります。例えば製品の開発生産性は、製品設計情報の創造に要する工数であり、設計品質は、市場・技術情報の設計情報への翻訳精度です。また、生産リードタイムとは、製品設計情報の受信に要する時間のことであり、生産性は工程から製品への情報転写の発信効率、製造品質は、製品設計情報の転写精度になります。
 トヨタ生産方式は、品質・納期・コストのすべての面で卓越した生産方式として、国際的にも高く評価されています。トヨタ自身がオープンにしていることもあって、その内容は多くの学者や関係者によって伝えられていますが、「かんばん」「アンドン」「ポカヨケ」「1個流し」「多工程持ち」などの諸概念は、それぞれ優れた考え方であることが分かっても、それでは全体の概念構成がどのようになっているのか、容易には理解しがたいところがあります。「ものづくり」のプロセスを情報システムとみなして行なわれる藤本教授の説明は、トヨタ生産方式に関する最も体系的な説明の1つと言えます。

 組織活動を情報システムの観点で分析することにより、藤本教授は、日本企業の強さの源泉も示されました。
 一般に製品・工程のアーキテクチャは、インテグラル型(すり合わせ型)とモジュラー型(組み合わせ型)に分けられます。米国がモジュラー型産業を得意としているのに対して、藤本教授は、わが国が「濃密なコミュニケーション能力」や「累積的な改善能力」などを活かすことにより、インテグラル型(すり合わせ型)の産業で卓越していることを明らかにしました。特に自動車のようにインタフェースの設計が1社にクローズする分野で、しかも鋼板のように、情報を容易には書き込みにくい媒体に転写する領域で、そのことが顕著です。

 ただし、インテグラル型(すり合わせ型)に優れるといっても、その前提として、的確なモジュール化が必要であることには留意する必要があります。凝集度が高く連結度が低いモジュール化が実現できていない場合、すり合わせしようとしても、工数と時間がかかるばかりで、以後の効果的な設計が不可能になるからです。

 したがって、モジュール化こそ適切な製品・工程の設計をするための基本的な考え方ということになります。驚いたことに、米国ではこの考え方を半世紀近くにわたって開発し進化させ続けてきています。このことは、2004年春に出版されたボールドウィンほか著「デザイン・ルール」(安藤晴彦訳)によってようやくわが国でも知られるようになりました。
 この本によると、モジュール化の考え方のルーツは、先に挙げたH.A.サイモンや、建築家のクリストファー・アレグザンダーにさかのぼります。アレグザンダーは、ソフトウェアパターンの端緒にもなった、建築におけるパターンランゲージを提唱した学者ですが、その著書には、イデアの分割に関するプラトンの言葉も引用されています。西欧では思考のプロセスが、2千数百年以上、延々と続く進化と蓄積の歴史をもっていることが分かります。
 モジュール化は当初、メインフレームコンピュータのような製品から始まったのですが、やがて製品をつくるプロセス、そのプロセスを担う組織、さらにはマーケティングや金融のプロセスまですべてモジュール化の考え方でリンクさせていくという、産業界全体における大潮流になりました。各モジュールの単位で競争が行なわれ、進化の法則が働いて、モジュール毎に最適の製品や組織が生き延びていくことになります。
 モジュール化は、ソフトウェアの分野におけるオブジェクト指向と同等の考え方ですが、わが国では、オブジェクト指向に関してベテランといわれるような人でもほとんどモジュール化の動向を認識していないのは残念なことです。
 米国におけるモジュール化のめざましい精華がシリコンバレーの発展ですが、サブプライム問題は、(ソフトウェア分野の用語を用いると)モジュール化のアンチパターン(悪い事例)ということになります。サブプライム問題について関係者の間で、「モジュール化の失敗」としての議論がまったく行なわれていないのは、大変遺憾なことです。

 モジュール化への取り組みとしてわが国で行なわれた、数少ない本格的な活動の1つとして、電気学会情報システム技術委員会「巨大システム調査専門委員会」(高橋勝委員長)の研究があります(電気学会技術報告第782号)。
 この調査専門委員会は、情報システムのユーザ系およびベンダー系の企業に所属する18名の委員から構成され、近年システムが巨大化するにともなって深刻な問題になっている開発維持生産性の低下やプロジェクトの失敗に対して、その根源にさかのぼって問題の構造と対応策を明らかにしようとしたものでしたが、優れた洞察力にもとづく3年間の研究活動により、巨大システムへの対応のみにとどまらず、組織運営やプロジェクトマネジメントに関する統一理論といってもよい画期的なモデルの確立に成功しました。

 この研究の特長は、問題の構造を、「(利用者)業務の目的と対象領域」「開発対象システム」「開発のための業務システム」の3つのカテゴリに分け、その中でまず開発対象システムの「複雑さ」に着目して、それがどのような要因によって変化するか、低減させるにはどうすればよいのか、数学モデルを用いて綿密に分析したところにあります。適切なサブシステム分割とデータベースの統合化と分散化のバランスが、複雑さを低減させるための決定的な方策とされています。
 次に、開発のための業務システムについては、開発方法論の複雑さを開発対象システムの複雑さに対応させること、開発のための業務組織の運営を、開発対象システムの複雑さと開発方法論の複雑さとにリンクさせることが、効果的、効率的に仕事を進めるための要件とされました。
 一方、(利用者)業務の目的と対象領域についても、(ちょうど開発対象システムに関して鏡のように対称的に)開発のための業務システムと同じことが言えます。すなわち、事業構造や(利用者の)業務構造の複雑さと開発対象システムの複雑さを対応させること、(利用者の)業務組織の運営を開発対象システムの複雑さと事業構造や(利用者の)業務構造の複雑さとにリンクさせることです。

 すでにメルマガの昨年4月号で述べたことですが、「複雑さ」は、PMBOKの9つのカテゴリのいずれからも独立した概念としての広がりをもっています。電気学会の調査結果から、プロジェクトマネジメントにおける「複雑さ」の重要性は十分説明されました。したがって、「複雑さ」を新たにプロジェクトマネジメントのカテゴリとして設定することが望ましいと考えられます。それと同時に、電気学会の研究成果は、プロジェクトに限らず組織運営全般における基本的な概念として広く共通認識がなされるべきでしょう。

 社会主義経済が破たんし、また自由主義・資本主義経済も同様の危機に陥った以上、両者を止揚したところに最適な領域があると考えられます。共同通信のアジア地区総代表・塚越敏彦氏によると、中国では社会主義市場経済が成功したので、社会主義民主政治の模索が始められているそうです。

 情報システムの、特にモジュール化の観点から、プロジェクトも企業も、経済も政治も観ていくことが今後重要になっていくと思われます。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からもご意見を頂ければ幸いです。