情報システム学会 メールマガジン 2007.6.25 No.02-03 [4]

連載 情報システムの本質に迫る
第1回 「情報は形がない」 か?

芳賀 正憲

 日本が基盤ソフトのほぼ100%を輸入に頼っていること,アプリケーションソフトを加えても輸出入に圧倒的な格差があることは,かねて問題になっていました。国際レベルで見ると,わが国はソフト開発力をもっていないのです。その上ものづくりの分野と異なり,先進国にキャッチアップしないうちに中国・インドなど途上国の追い上げを受けています。近年若い人たちの志望先からも敬遠される傾向にあり,わが国の情報サービス産業は非常に厳しい局面に立たされています。
 どうしてこのような状態になったのか,根本的な原因としてわが国では,情報および情報システムの概念が明確になっていないことが挙げられます。基本的な概念がはっきりしなければ,研究も教育も実務への適用も,効果的に進められるわけがありません。
 情報および情報システムの概念について,わが国では有識者とされている人の間でさえ,少なくとも3つの誤解があります。

 第1は,情報をコンピュータ,情報システムをコンピュータシステムとほとんど同義に考えてしまうことです。例えば,数年前に高等学校に普通教科「情報」が設けられましたが,その趣旨は「コンピュータの機能や仕組みの理解を通してコンピュータを問題解決等に効果的に活用するための考え方や方法を習得させる」など,コンピュータ一色になっています。
 なぜこのような誤解が生じたのか,それは情報という言葉がわが国ではコンピュータの普及とともに広く用いられるようになった経緯の中にあります。広辞苑を見ると,1955年の初版では明治以来の「事情のしらせ」の意味しか書かれていません。しかし,60年代後半の第2版以降,情報はinformationの翻訳語として説明されるようになり,意味が拡張されます。90年代末の最新第5版では「媒体を介しての」という語句が追加されました。
 もともと英語では,informationは700年前から用いられており,その語源はさらにラテン語にさかのぼることを忘れてはなりません。

 第2の誤解は,「情報は形がない」と考えてしまうことです。例えば,昨年出版されたある大学のテキスト「情報」には,第1章第1節の冒頭に「情報は形がない」と書かれていて,学者でもそのような認識があることが分かります。産業界でも,情報は形がなく見えないのでさまざまな問題が生じると,よく言われています。しかしinformationの中にformがあるのですから,形がないというのは不思議です。
 Informationはinformから派生した語ですが,informのinは「中に」,formは「形作る,言葉で表す」という意味で,「心・頭の中に形作る」というのが原義です。したがって,情報には形があるのです。形があるからこそ,その形を表現するためマークアップということが行なわれているのです。 マークアップは,最近でこそHTMLやXMLを通じてわが国でも有名になりましたが,もともと数100年来,印刷業界で行なわれてきたことです。しかし,広辞苑には最新版でさえマークアップは載っていません。オックスフォードの辞書ではコンサイスにも載っています。わが国の国語関係者の情報
に関する感度が懸念される一例です。

 第3の誤解は,情報システムの世界は自然科学と様相をまったく異にする,人間が勝手に定めた約束事の世界,原理原則の存在しない仮想世界である,したがって体系的な教育は不可能と考えることです。このように考える人も,学界・産業界に多数います。
 ほんとうにそうでしょうか。例えば力学を考えると,歴史的にさまざまな学説がありました。ガリレオの頃までは,力,質量,加速度などの概念(クラス)と概念モデル(法則)の抽出が妥当な形ではできませんでした。しかし,彼らなりにクラスを抽出しモデルを組み立てていたのです。この体系は力学現象を対象にして,クラスとモデルで認識と判断を実行する,まさに情報システムと言えます。ニュートンになってようやく妥当なクラスとモデルが確立できたのですが,実はニュートンのシステムは,スコープに限界をもっていることがあとで分かりました。このスコープを拡大してシステムの適用範囲を広げたのがアインシュタインです。このように自然科学といっても,実は自然を対象に概念や概念間の関係を抽出し,それをもとに認識と判断を実行する情報システムと考えられます。
 一方,情報システム側から見ると,人類は誕生以来情報システムを組み立て発展させてきているのですから,創世記以降あらゆる段階で情報システムの開発はメタ開発であり,情報システム学はメタ学です。メタの世界では1つ下の世界を客観化し,場合によっては100%論理的な処理さえ可能です。
 基幹システムの要求分析で,既存の伝票・帳票類や業務マニュアルをすべて集め,そこからエンティティあるいはクラスを抽出することは普通に行なわれています。既存の伝票・帳票類や業務マニュアルを手がかりに対象世界を分析しているのですが,観測結果を手がかりに自然を分析するのとどこにちがいがあるでしょうか。手がかりがユーザの発話の内容であったとしても,客観化して分析する限り同じことです。
 A社のシステム,B社のシステム等,正解がないではないかという意見があります。しかし,海で軟体動物にタコや貝などいろいろな類がありますが,別に正解があったわけではなく,DNAの配列の偶然とその後の適応によってさまざまな形に秩序が作られたものです。人間の情報システムに多くのパタンがあることも,恣意と適応という同様の進化プロセスで説明されます。
 このように見てくると,自然科学と情報システムに本質的なちがいはなく,いずれもオントロジー(概念体系)を発展させてきたものです。演繹,帰納,発想の適用が可能です。

 結論として,情報システムと自然科学は,本質は同じであるのにわが国では両者が異なっていると考える人が多く,そのため例えば大学で,体系的な教育が行なわれず,情報や情報システムに関し基本的な概念を理解しない人材を輩出し,結果としてさまざまな問題を引き起こしていると言えるのではないでしょうか。

 この連載では,情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。皆様からもご意見を頂ければ幸いです。